tokiron’s blog

日々考えている事をなんとなく・・・

障害者がやっていることを、健常者がチャレンジして障害者が感動するという番組を。(逆24時間テレビ)

毎年24時間テレビの時期になると、

この番組の違和感て、なんなんだ?とよく考える。

で、今年もそういうことを考えていたのだけれど、

それが今になってやっと言葉にできるかもという感じになってきた。

 

だから、季節はずれだけれど。

 

基本的に私は人に対して

「かわいそう」

という気持ちは持ちたくないと思っている。

やっぱり同情というのは、してもされても気持ちのいいものじゃない。

 

で、24時間テレビって、

障碍者かわいそう」

がベースに流れている感じがするんですよね。

まずそれに違和感。

 

そして、ジャニーズと一緒にダンスの練習をして、

できないことが苦労してできるようになったと感動するストーリー。

 

これにも違和感。

できないことができるようになるのは、とっても素敵なこと。

それは障害があるないに関わらず、全員にあてはまる。

 

で、そのなんというか、

「障害があるのに、こんなことができるようになって、すごい!頑張った!感動!」

 

って、どうなんでしょう。

 

できないことができるようになってすごいのは、みんな同じであって、

「障害があるのに」って、なんだか見下していないか?と思ってしまう。

 

そして、健常者と同じ事を障害者ができるようになると、感動なのか?!

と、思う。

 

じゃ、障害者ができて、健常者ができない事をやる番組作ってよ。

とも思う。

 

たとえば、

ブラインドサッカー対決。

車いすバスケ対決。

 

などなどいろいろあるでしょう。

私の思いつかない事たくさんあると思う。

 

で、その時に、障害者はこんなに大変な思いをしてやっている、なんて思うとしたらやはり思い上がりと思う。

なぜなら彼らにとってはそれがデフォルトなのだから。

 

健常者が日常にやっていることを障害者が難しいと思うのと同じように、

障害者が日常にやっていることが、健常者に難しいだけ。

 

ここまで、

「障害者」

とか、

「健常者」

と書いているけれど、そもそも「障害」ってなんなんだ?とも最近よく考える。

 

体の一部が欠けていると障害と言われる。これは見た目で分かりやすい。

じゃ、内蔵の部分は?

心(というよりも脳と言った方がいいのかな?)の部分は?

と考えると見た目では分からない事も多いしどこまでのことを指すのかもはや分からない。

 

 

じゃあ、こう考えたらどうだろうか。

 

「障害者」=「日常生活に差し支えのある人」

 

でもさ、それを言ったら日常生活に差し支えのある人なんて、ごまんといるわけで。

足が悪くても、車椅子に慣れた人ならもしかしてそんなに不自由を感じていないかもしれない一方で、

体はどこも悪くないけれど、性格的に社会生活を送るのに差し支えのある人だっているわけで。

そうすると、

「”自分が”不自由だと思うか思わないか」

が境界なのか?

と、考えたり。

 

 

よく思うのは、私は目がとても悪くてメガネがないと生活できないこと。

メガネのない時代に生まれていたら、れっきとした障害者だ。

生活ができない。

 

「障害」=「日常生活に支障のある人」

と考えると、道具やテクノロジー、医療が発展したり、環境が変われば今まで障害者と呼ばれていた人は障害者ではなくなる。

 

てことは、障害のあるかないかって、その部分のテクノロジーや医療が発展しているかしていないか?ってことなのか?

どんな状態の体でも、環境が対応できていて、日常生活に差し支えなければ障害がないと言えるんじゃないか?

 

そう考えると、現在その人の障害と言われる部分て、もうただの

「違い」

でしかないんじゃないかって。

 

 

なんだか書いているうちに訳が分からなくなってきたので、

またいつか続きを書く事にして、このへんで。

 

 

ただ、行政が障害者をきちんと定義することは大切だと思う。

どのような状態の人に、どんな支援を行うかというルールを決めなければならないから。

それは、大事。

ただ、私たちが普段「障害」となんとなく思っていることについては、

よく考えていかなければならないなと思う。

 

ちなみに私が障害者であるかないかなのだけれど、

ブログの中にも書いたようによく分からないです。

体に欠けている部分はないですが、

病気でほぼ寝たきり状態になったことはあるし、

歩けなくなったこともあります。

障害者2級がつく病名を診断されたこともあります。

でも今は、特に差し支えてはいないです。

ただ病気の治療が面倒なだけ。

 

 

娘ちゃんは、生まれつき心臓に穴があいていて、母子手帳には確か障害児となっていたと思います。

でも、今のところ、日常にはなんら差し支えなく、問題なく成長しています。

 

一体「障害」ってなんなんでしょうね。

 

 

 

「努力」信仰の勘違い

「努力すること」

が、とても良いことだというのは、子供でも知っていると思うのだけれど、

その

「努力」

って、なんのことを指すと多くの人は思っているのだろうなー

とふと考えた。

 

「努力」というと、

地道にコツコツと、辛く苦しいけれども、頑張る!!

そして苦しい事を乗り越えると、すばらしいことが経験できて自分が成長できる!!

だから努力は良いことだ!

人は努力すべき!!

 

というイメージがあったのだけれど、

他の人はどうなんでしょう。

 

私自身は正直、辛いことは嫌だし、努力はしたくないなーってずっと思っていました。

根がラクしたい怠け者なので。

 

で、ぶらぶら毎日過ごしていたわけだけれど、

なんの話をしている時だったか、

多分、私が頑張りたくないだの、努力は嫌いだの言ってた時だと思うのだけれど、

夫が言いました。

 

「みんな努力って言葉を勘違いしている。

努力っていうのは、辛くて苦しいことを我慢して頑張るという意味じゃない。

目標に近づくための行動のことを言うんだよ」

 

と。

意味がよく分からないし、

みんなが思っているそのイメージそのものが努力の意味だろ。。。

と思いました。

 

それが、だいぶ時間が経ってから腑に落ちるようになりました。

 

努力というものを自分なりに考え直した時に、夫と同じ結論にたどり着いたんです。

 

辛いとか苦しいかはそれが努力なのかには関係ない。

目標に近づく行動であれば全て努力。

楽しくても努力。

辛くて苦しくても目標に近づいていなければ、努力じゃない。

 

そう考えたら努力するのは、楽しい事なんだと思うようになりました。

そりゃ当たり前です。

だって目標に近づくのだもの。

 

実際は、努力をしている間に、

辛い事も、苦しい事も、楽しい事も、

結果としてぜーんぶ経験するものだと思うけれど、

それはどうでもいいことです。

それらを通して成長できたというのは、結果論であって、成長は目標じゃない。

目標にたどり着いた時の副産物なんでしょう。

(自分を成長させたいという目標の場合は考え方が少し変わるかもです。)

 

昔、仕事がとても辛いけど頑張った時のことを夫に話した時に

「それは努力じゃない」

と言われたことがあって、過去を否定されたようで頭にきたけれど、

今思えばやはりその時のは努力じゃなかった。

ただの我慢だったなと。

 

で、よくあることだと思うのだけれど、

目標に近づくつもりが、あさっての方向へ行ってしまったという場合。

私はこれも努力だと思います。

なぜならそれをやる前に、

「これをやったらあさっての方へ行ってしまう」

ということが分からなかったわけで、

それを知れたことが目標に近づいたと思うからです。

次は違う手段を選ぶことができるでしょ。

 

努力=目標に近づくための行動

 

ってことで、目標がない時特にしなくていいし、

目標ができたら、ぜひ頑張れたらなと思います。

 

ぼーっとすることが苦手になったのは、瞑想が心に逆効果だと言われることと関係があるかもしれないな。

最近ボーっとすることがとても苦手になりました。

常に何かを考えている感じ。

 

私はもともとぼーっとしている人間で、

考えるということをずっと放棄して生活してきたので、

今の状態がとても不思議。

次から次へと考えて、結論出して、はい次!っていう感じ。

 

そうやって、忙しく頭を動かしているうちに、

そもそも頭をからっぽにするなんてできるのかな?

とか、

頭をからっぽにするってどういうことなんだろうと、ふと考えてしまいました。

 

今の私がなんでぼーっとするのが苦手かというと、

ぼーっとしていると、ネガティブなことばかりが頭に浮かんでくるから。

過去の嫌だった事を次から次へと思い出し、

ぐるぐるぐるぐる同じ事を何度も何度も。

 

それでブルーになるんだったら、他のことを積極的に考えればいいんだって。

 

よく失恋すると仕事を頑張るとか、

学生だと、失恋すると勉強に励むのかな?

 

そういうのと同じだと思う。

 

で、頭をからっぽにするって、そういうブルーなことを思い出すこともなく、

積極的に何かを考える事でもなく、

頭の中になにも浮かんでこない状態って可能なのかな?

と思ってしまいました。

 

瞑想がそんな感じなのかな。

 

瞑想が、人によっては心に逆効果になるから気をつけた方がいい、

と聞いたことがあるけれど、

そういう人は私と同じように、瞑想しようとすると、ネガティブなことばっかりが

頭に浮かんでしまうのではないかと思います。

だから瞑想(頭をからっぽにする)って難しいのだと思います。

 

そういうわけで、常に何かを考えている状態です。

考える事がなくなると、何かないかと探しています。

 

おかげで物事がどんどん進んでそれはそれで楽しいし、

ブルーになることもだいぶ減って、気持ちはラクになりました。

 

このまま、考えることが多くなった状態がデフォルトになったらいいなー。

 

 

 

アルバイトの面接でとても疲れたよっていうお話

4月からスクールに通おうと思っていて、

それまでにその資金を稼ぎたく短期のアルバイトを探しております。

短期と言えばこの時期バレンタインのチョコ販売でしょー!!

と思い、いくつか応募してみました。

 

私は本業が別にあるし、5ヶ月の赤ちゃんもいますから、

スケジュールは結構タイト。

午前中だけ働きたいというアルバイトはなかなか難しいのかもしれません。

 

先日1件面接に行ったけれどダメで、

本日2件行ってきました。

 

今日行った2件の面接のうち一件の面接のお話。

 

ルノアールの貸会議室での面接ということで、どんな感じかな?と思っていたのですが、想像していたのとは全く違いました。

静かなところで、スーツ着た人が一人一人順番に面接しているイメージだったのですが、

部屋に入ったら若い女の子がわらわらいて、関西弁のエプロンした採用の人が大きな声でその相手をしていました。とても騒々しい。

居心地悪い。

 

そして、この用紙書いてくだいね〜と言われて書きましたが、

私の順番が回ってくる気配なし。

 

明らかに採用側の人数足りていないし、

同じ事を別の人に何度も説明してて要領悪すぎる。

 

 

そして、関西弁ってこんなにイラつくものだったっけ?と考えてしまいました。

でも、テレビで関西弁の人はたくさんいるし、

私の友人にもいて、気になった事はないので、

その男性のしゃべり方が嫌だったのだと分かりました。

で、聞いていて一番気になったのは、タメ口。

関西弁だって丁寧語ありますよね?!

(私は関西弁全くしゃべれないので分からないのですが)

応募してきている人たちが20歳くらいの学生さんが多いからそうなりがちなのは分かります。

でもお仕事をお願いしようとしている人に対してタメ口は社会人としてダメだろう、

と私は思うのです。

 

そして百貨店で働くと髪型、爪、化粧、服装が厳しいということを、

偉そうに言うんですよね。あなたそれ守れますか?みたいに。

(そんな嫌みな態度に対して一生懸命対応している面接に来た人たちにもどん引きしてましたが、まあそれはいいです。みんな仕事したいわけですから。)

 

ま、要するに感じが悪かったわけです。

そんな感じの悪い人がいろんな人に大声で説明をしている間、私は待っているわけです。我慢できなくてiPhoneいじってましたが。

結構なストレスでした。早く脱出したかった。

 

そんなこんなでまだまだ順番が回ってこないまま40分後、ルノアールの人が来て、

「もうお時間過ぎています。次の方がいらっしゃるので早くしてください」

と。

貸会議室だから時間がくれば退出しなければなりません。

 

はー?!私まだなんだけど。

というわけで、ルノアールのカフェスペースに移動。

注文どうしますか?と聞かれたので、いいです、と言ってみたけれど、

「着席しましたから、何か頼まないと」と言われ仕方なくホットコーヒー。

そりゃそうですけどね。1人1オーダーはお店に入店したら義務ですよ。

 

で、やっと私の順番。

2分で終わりました。

1時間弱待って、2分。

 

面接なんて早く終わるのは嬉しいのですが。。。

 

勤務地の希望と時間を確認後、

「その店舗のシフトは今日は持ってきていないのでよく分かりません。来週メールします。」

 

以上!

 

これ、わざわざ面接会場に来てやることなの?(勤務地の希望はすでに伝えてあるし)

ここまでくるのに1時間かかるんだけど。交通費かかってるんだけど。

会場に来てから1時間も時間を使われているんだけど。。。

 

 

とても疲れました。

 

 

コーヒーが運ばれてきたのは面接の後。

早く帰りたかったので、誰か差し上げます。と言ったけれど、

こちらが払いますからせっかくなので飲んで行って下さい。

と言われて、まずいコーヒーをさっさと飲んで帰ってきました。

 

ルノアールのコーヒーがまずいのではありません。

こういう雰囲気の中、こういう気持ちで飲むコーヒーがまずいのです。

 

お待たせしてすみませんでした。と、別の女性の採用の人に何度も言われました。

イライラは顔に出てたと思います。

私もおとなげないですね。

でも、迷惑かけてくるどうでもいい相手に愛想ふるうほどお人好しになるつもりはありません。

 

 あまりにイライラしていたので、気持ちを鎮めるために途中、買い物して帰りました。

 

おそらく、ここの採用はないでしょう。

なんとなくそう思います。

それにこういう印象の会社で気持ちよく仕事はできないでしょうね。

社風が合わなすぎるのです。

 

また、新たに探します。

帰ってから夫に言ったら、

「今度はつてで仕事探したら?」

と言われました。

地元の人に相談しようと思います。

 

 

追記

投稿した後で思い出したこと。

 

その面接会場まで片道2000円かけて遠くからきた学生さんがいました。

でも、その子の希望勤務地には採用のあきがないということで、

採用の方が慌ててその勤務地に問い合わせをしていました。

どうなったのかは分かりませんが。

面接の前に希望勤務地を聞いているのだから、

そのくらいあらかじめ確認しとけよ、と思います。 

そして片道2000円かけて面接にきて、採用がなかったら4000円の損。

採用があったとしても、半日か1日分のお給料はとぶわけです。

そういう所に応募するというのもどうかと思います。

 

もう一つ。

研修はいつこれますか?

と全員に聞いていましたが、その研修にお給料が出るのか、交通費は出るのか、

誰も聞かないのが不思議でならなかったです。

私は聞いてみましたが、

「お給料は出ますが、いくらかは分かりません。」

という返答でした。

 

聞かれない質問だから採用側も把握していないということなんでしょうか。

 

研修にお金が出ないかもしれなくても、そのお仕事をしたいってこと?

研修出ればお金が出るのが当たり前だから聞かないってこと?

そもそも研修はお金が出なくて当たり前と思っているってこと?

 

自分が払う労力や時間に対する意識が低いのではないか?

と思ってしまう出来事でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

家族ってめんどくさいよね、というお話

実家の人たちといると、どうにもこうにもイライラしてしまう。

なんでこの人たちは、こういうことをやるのだろう、言うのだろう。

何度私が怒っても、直らない。

 

一体なんなんだ、とずっと不思議で、接するたびに怒りでいっぱいで、

何度縁を切ろうと思ったことか。

 

で、昨日やっと、ふと思った。

大事にしたいものが違うのだと。

 

私が大事にしたいものを、実家の人たちはどんどん踏みつけていくわけで、

そりゃイライラするし、不愉快にもなる。

で、どんなに怒っても直らないのは、私が大事にしたいものを、

彼らにとっては大事ではないから。

 

それが分かったのなら割り切った態度を取れればいいのだけれど、

やはり家族には、私が大事にしたいものを一緒に大事にして欲しいと思う甘えもある。

だから親離れできていないと言われるんだろうな〜。

 

だから、私が今やるべきは、イライラしたり怒ったりすることではなく、

彼らは彼らで大事にしたいことがあるのだから、それを認めてあげようということかな。

で、私の大事にしたいものを踏みつけて行かれないような距離をとって付き合おうということかと考えている。

 

と、考えて彼らの大事にしたいものってなんなんだろう。

これが意外と難しい。

 

すぐに思いつくのは、見栄とお金。自分の立場や自分の心でしょうね。

あとは、、、

 

努力より才能。(だから努力しない)

理論より思いつき。(だから考えない。考えたことは正しくないくらいに思っている)

計画性よりも運。(いつも適当)

 

こういう人と話していると、内容に一貫性なんてもちろんないし、言っている情報が正しいかはかなり疑問だし。実際に後で調べると全然違っていたなんてことは普通だし。

要するに、話してもなんの意味もないんだよね。時間と労力のムダ。

 

人の考えより、自分の考え。

人がやって欲しいことではなく、自分がやってあげたいことをすることとかかな。

 

だからやめてくれと何度お願いしても、しつこく繰り返しやってくるのだ。

自分のやっていることは正しいのだと主張してくる。

それはもはや嫌がらせだよと言っても、これを受け取れないのはあなたが天の邪鬼だからだとか言ってくるんだよね。

 

 

なんか相当な愚痴になってきて、私も小物だなと思うのだけれど、

ここまで違う人とどうやって付き合っていくのかって、

相当難しいよね。

他人なら付き合わないよ。

 

彼らの大事にしたいもので、私も大事にしたいものってあるのだろうか。。。

今のところ、娘ちゃんかな。

 

娘ちゃんが、私と実家のつながりの最後の砦なんだろうな。

できれば、家族なので、縁は切らないようにしたいし、

あんまりないがしろにもしたくはない。

ま、そう思ってしまうところが、家族のめんどくさいところで。

 

私がちゃんと親離れして、早く一人前になれればいいんだろうーなー。

 

 

 

 

お正月のうちにやっておきたかったこと

あけましておめでとうございます。

 

正月行事が昨日で終わりました。

12月後半はとても忙しく過ごしていたせいか、年越してお正月の午前中に体調を崩しました。元旦はずっと寝ていまして、夜のお雑煮は夫に作ってもらいました。

 

「1年の計は元旦にあり」

 

と、言うので、元旦に今年の目標とか、計画をたてようかと考えていたけれど、

体調悪くて頭を働かなくて、ぜんぜんダメでした。。

 

やってみたいことは挙げてみたけれど、そんなもの挙げただけでは意味ないし。

具体的にそれをどのような行動にするかまで考えないと、実現化しないよね。

 

例えば、読書をもっとする、であれば、1日のどこかの時間を読書に当てる、ということまで決めないと、忙しい毎日で多分実現できない。

 

だから、今日あたり、今年やってみたいことを実際に行動のレベルまで落とし込んでみようかなと思います。

 

今年やってみたいことは・・・

<仕事>

1、化学を身につける。

2、イベント出店を増やす

3、資格の講座を2つとる

<プライベート>

1、自動車の運転免許をとる

2、体重を変えずに、体脂肪率を2%落とす

 

って感じです。

 

化学は今マンガで勉強していますが、全く進みが悪いです。

苦手意識満載で、なかなか手に取れない。

だから毎日この時間は化学をやる!って決めないと。。

この仕事が理系だったなんて、聞いてないよ!ってところです。

 

イベント出店は去年は1つだったのですが、今年はもっと増やしたい。

去年参加したイベントの出店はもうほとんど決定ですが、

(万が一出店希望者が多かった場合に抽選になるけど主催者には出店の希望は出している)

他のイベントにも出たいなーと。

これについては、今月に仕事でお世話になっている先生に相談する予定。

それまでに、イベントでどんなことをやりたいかを考えておかなきゃ。

 

私が考えている資格取得講座は、4月募集なので、それが1つ。

あとは、秋に別の資格講座の募集がもう一つあるので、そちらもできたらやりたい。

今年はこの資格にどっぶりつかる予定。

化学はこの資格の延長上にあります。

 

運転免許は、プライベートに入れたけれど、仕事で使いそうなので取ろうかなと思いました。ただ、運転するのがとても怖そうという理由で今まで取らなかったので、その怖さが克服できるかが課題。3月までは学生さんが多いらしいので、4月過ぎたら通おうと思っています。しかも今の家から徒歩5分くらいで近いんだよね。引っ越す予定ありなので、今のうちに。

 

体重を変えずに体脂肪率を下げるというのは読んだそのまま。

筋肉を増やすということです。

去年妊娠出産で7キロ痩せて、長年のコンプレックスが解消したので、それを維持するべく筋肉を増やそうと思いました。基礎代謝も低くなってしまったしね。あと出産でお腹がたるんだのを引き締めたい。

筋トレを午前中に毎日やる予定。

 

て、ところです。

あまり細かく計画しても、少し計画が遅れただけで倒れていきそうなので、適度なスパンでの計画をたてないと。

 

でも、3が日までにここまで決められたのは良かった。

ブログのおかげじゃ。

 

ではでは、今年もよろしくお願いします〜。

 

子供にとってどんなおもちゃが面白いのかな?!

4ヶ月の娘ちゃんのいる私にとって面白い記事を見つけた。potatostudio.hatenablog.com

 

赤ちゃんがどんなおもちゃに反応するかという記事。

 

うちの娘ちゃんの大好きおもちゃ1位は「枕」

枕の上にタオルをしいて、その上に頭を乗せて寝かせているが、

気がつくと枕を顔の前に持ってきて食べている。

どうやってるの?!

と思うけれど、見ているとなんとも器用につかんでいる。

枕を顔の上に落としたりすると窒息してしまうかもしれないので、

それだけは注意をして見ている感じ。

 

2位は毛布

寒くなってきたので、ふわふわのあったかそうな毛布を買ってきたら、

あっという間におもちゃになりました。

やっぱり食べます。

毛が嫌じゃないのかな?と思うけれどよく食べているのでいいのでしょう。

 

3位になりつつあるのは、つい3日前にクリスマスプレゼントで夫の両親から送られてきたクマのぬいぐるみ。一番新入りなのに、3位に食い込む勢い。

 

3つの共通点はふわふわしているところ。どれも手触りが気もちい生地でできている。

こういうの食べると赤ちゃんはおいしいのか?!

 

口にものを入れるのが好きなので、清潔にしておける噛むのにちょうどいいおもちゃを買ってきたりもしましたが、やはり枕や毛布には負けます。

 

まだ4ヶ月なので、引用したブログの赤ちゃんよりも遊びのバリエーションは少ないですが、今後洗濯バサミとかペットボトルとか参考にしたいと思います。

絵本も使っていますが、まだよく分からないみたいですね。

一応読んでいるときは見ていたりもしますが。(よそを見ている時もある)

そのうち、好きな形や好きな色、好きなキャラクターなど出てくると思うので、

何に興味を持つのかがとても楽しみです。

 

あと、この「スマホに子守をさせないで」

http://jpa.umin.jp/download/update/sumaho.pdf

が載ってたのですが、これは私はモノ申したくなる。

スマホを敵視している感じがいただけない。

スマホを上手に使いましょう」

なんじゃないかな。

動画を一緒に見たり、音楽を一緒に聴くのは子供にとっても楽しいと思うし、

その役割はちょっと前のテレビと同じだと思うんだよね。

テレビ見させといてその間に何かやるって普通だったんじゃないの?

それに、親がスマホに夢中になってとか言うけど、少し前はそれが本だったり新聞だったりしてたんじゃないの。お料理でもお裁縫でも夢中になれば同じだよね。

スマホを見ながらベビーカーって、それはスマホどうのじゃなくて危ないでしょ。

やったらいかんでしょ。

スマホじゃなくて、本や新聞ならいいのか?ってわけにもいかんでしょ。

 

新しく出てきたものにアレルギーを感じるのは分かるけれども

くだらないことを言って、親の子育ての選択肢を狭めないで欲しい。

 

例えば、

外出先でどうしてもぐずってしまったので周りに迷惑かけないように動画を見させる、なんてとても有効だと思うのだけれど、

(子供楽しい、周りに迷惑かけなくてすむ、親も落ち着いていられるから)

そういう光景を見て、「いまどきの若い親は。。。」とか言い出したらかわいそうだよね。私なら頭にくる。

 

結局何が大切かって、

ちゃんと子供と向き合おうよということでしょ。

それさえきちんとしていれば、本でもテレビでもお料理するでも雑誌眺めるでも

それこそスマホでもなんでもいいじゃないか。

 

こういうこと言うと、依存がどうのとか極端なこと言う人いるけど、

程度が大事なことは当たり前すぎてわざわざ言う必要もない。

それ言ったら全ての行為に依存なんてあるわけで、スマホだけを取り上げるの意味ないし。

 

だからこういう意味分からないポスターみたいの作らないで欲しい。

神経質なおかあさんたくさんいるから、真に受けて自分を苦しめてしまいかねないとそちらの方が気になる。

 

それにスマホのない時代にも子供と向き合えない親いっぱいいたでしょ。

本質を見ないで、こういう表面的なことを言ってると大事なこと見落とすよ。

 

最後は愚痴になりました。ごめんなさい。

うちは、

スマホが、

ではなく、どんな道具を使うであれ、子供と向き合うということを大事にしながら一緒に生活していきたいです。