tokiron’s blog

日々考えている事をなんとなく・・・

「努力」信仰の勘違い

「努力すること」

が、とても良いことだというのは、子供でも知っていると思うのだけれど、

その

「努力」

って、なんのことを指すと多くの人は思っているのだろうなー

とふと考えた。

 

「努力」というと、

地道にコツコツと、辛く苦しいけれども、頑張る!!

そして苦しい事を乗り越えると、すばらしいことが経験できて自分が成長できる!!

だから努力は良いことだ!

人は努力すべき!!

 

というイメージがあったのだけれど、

他の人はどうなんでしょう。

 

私自身は正直、辛いことは嫌だし、努力はしたくないなーってずっと思っていました。

根がラクしたい怠け者なので。

 

で、ぶらぶら毎日過ごしていたわけだけれど、

なんの話をしている時だったか、

多分、私が頑張りたくないだの、努力は嫌いだの言ってた時だと思うのだけれど、

夫が言いました。

 

「みんな努力って言葉を勘違いしている。

努力っていうのは、辛くて苦しいことを我慢して頑張るという意味じゃない。

目標に近づくための行動のことを言うんだよ」

 

と。

意味がよく分からないし、

みんなが思っているそのイメージそのものが努力の意味だろ。。。

と思いました。

 

それが、だいぶ時間が経ってから腑に落ちるようになりました。

 

努力というものを自分なりに考え直した時に、夫と同じ結論にたどり着いたんです。

 

辛いとか苦しいかはそれが努力なのかには関係ない。

目標に近づく行動であれば全て努力。

楽しくても努力。

辛くて苦しくても目標に近づいていなければ、努力じゃない。

 

そう考えたら努力するのは、楽しい事なんだと思うようになりました。

そりゃ当たり前です。

だって目標に近づくのだもの。

 

実際は、努力をしている間に、

辛い事も、苦しい事も、楽しい事も、

結果としてぜーんぶ経験するものだと思うけれど、

それはどうでもいいことです。

それらを通して成長できたというのは、結果論であって、成長は目標じゃない。

目標にたどり着いた時の副産物なんでしょう。

(自分を成長させたいという目標の場合は考え方が少し変わるかもです。)

 

昔、仕事がとても辛いけど頑張った時のことを夫に話した時に

「それは努力じゃない」

と言われたことがあって、過去を否定されたようで頭にきたけれど、

今思えばやはりその時のは努力じゃなかった。

ただの我慢だったなと。

 

で、よくあることだと思うのだけれど、

目標に近づくつもりが、あさっての方向へ行ってしまったという場合。

私はこれも努力だと思います。

なぜならそれをやる前に、

「これをやったらあさっての方へ行ってしまう」

ということが分からなかったわけで、

それを知れたことが目標に近づいたと思うからです。

次は違う手段を選ぶことができるでしょ。

 

努力=目標に近づくための行動

 

ってことで、目標がない時特にしなくていいし、

目標ができたら、ぜひ頑張れたらなと思います。